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ここでは、むじゅん社の活動や起業の実践、メンバーの日々の葛藤などを報告します。が…。 今や賀代のせいで???むじゅん社崩壊状態のため、主に取締られ役の山本賀代の日記的なものを報告いたしております。

Sunday, November 21, 2010

パンチングローブは永久に不滅・・・だよね( T - T )/

2010年11月21日日曜日

天才ギタリスト、あたしのソウルメイト
そしてあたしの浦河の大切な兄が
11月14日の未明に浦河の海から
天国行ったことを知りました。

写真は2001年に彼と道東の方へ旅をしたときに
かっこつけてもらって撮ったベストショットです。
享年41歳でかな性格も丸くなり顔も丸くなってました。
でも、この頃は確かに具合の悪い人でしたが
イケメンでしたね。。。

彼とは1999年に神の導きにより教会で出会い
ろくにお互い話も出来ませんでしたが、
誰ともつながりをもてないあたしを
一生懸命にべてるに繋ぎ止めてくれて、
沢山の血と汗と涙を本当に流しまくりながら
ずっと音楽を通じてずっととても
近くでとても深く繋がって来ました。

彼と出会えてあたしは命を救われ、
ケンカしながら心を曲として作り上げ、歌を歌い
そのことで多くの人の心を癒すという
魂の喜びを教えてもらえました。

彼と同じ時代に生まれ
同じ時代に一生懸命に生きて生きて
喜びも悲しみも変えられないことも変えられることも
全て教えてもらいました。

彼の携帯のメールアドレスを考えた時に
彼が一番気に入っていた聖書の箇所が
「重荷を負って苦しむものは、私のもとへ来なさい。」
という箇所だったのでなんとか下手な英語で考えて
jejus-said-come-to-me
と登録したことを思い出します。

彼は望み通り、神様の元へ行くことが出来ました。
松本寛師匠が 「賀代ちゃん、
下野君はお父さんとお母さんのところに行けて
幸せなんだよ!」と言ってくれました。

パンチングローブも1年半ほど
凍結していた時期もありましたが、
彼が電話してきてくれて
「パンチングローブ、やりましょう。
その方が日本経済新聞も喜ぶと思います。」
などわけの分からないことを言っていましたが
その時は踊りだしたいぐらい嬉しかったです。

今年の6月5日に札幌のクルースタジオで
また収録してCDを作ることができました。
それはあたしが
「パンチングローブがやりたいんだぁ!!」
と思っていた念が通じたんだという思いから
「Open Sesame」、
日本語で「開けゴマ!」というタイトルにしました。

あたしや残された彼を大切に思っていた仲間は
悲しみや悔しさや淋しさを未だに
どこに向けていいのかわからず、
とにかくうろたえ、途方に暮れるばかりですが、

彼が精一杯生きてきて頑張ってきた証や
彼が生前に残してくれた大きなプレゼントを喜び、
彼に感謝して生きて行きたいと思っています。

これからどうやって・・・などと考えると本当に途方に暮れて
動けなくなり、どこにいてもふと彼との想い出が溢れてきて
息が詰まります。

でも、あたしはなんとか、もっと下野氏ほど頑張って生きて
下野氏の功績をずっと伝えていかなければと思っています。

これからもどうにか活動をしていきます。
本当に心細くなるのですが
これからも、皆様の応援、
よろしくお願いします。m(_ _)m

下野さん、ありがとう。本当にありがとう。
ゆっくり天国でゆっくりよく寝て、まったりしていてね。
でも、あたしも必ずそこへ向かうから
ちゃんと詩も蓄えていくからギター練習していてね。
下野さん、ありがとう。ありがとう。
さよならなんて絶対言わないからね!
また、会えるって、信じてるからね!!!!!

パンチングローブの片割れ
賀代より 
親愛なる下野兄へ。

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